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2003年1月 子宮ガンの告知を受けました。その後、手術・抗ガン剤・放射線の治療を終え、今は元気に暮らしています。しっぽな 


by hijiki222
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一周忌

早いもので父が亡くなり一年が経ちました。
昨日一周忌も済ませました。

そして同じ日、次男の18歳の誕生日。
おめでとう^^

実は私、親不孝にも父の死に目にはあえなかった。

きっと入院していたなら、体中にたくさんの装置をつけて
そのときの予測がついたのだろう・・・。

機械的には私が行ったときは
まだ息があったのかもしれない。

日曜の朝・・・
姉から電話が入った。

「なんか・・・死んじゃったみたい・・・・」

確かそんな言い方だったと思う。

亡くなる前はどんな状態になるのかなんて
医師からも、訪問看護師さんからも聞いていなかったので
姉も何がどうなっているのか、きっとワケが分からなかったのかもしれない。

実家にかけつけた。
姉はすぐ訪問看護師さんに連絡を入れたらしいが
そこで救急車を呼んでも、もう遅いとわかっていたのだろう。

後から思えば・・・救急車を呼ばないで良かった・・・。

そこで蘇生したところで助からなかっただろうし。。
何より父は住み慣れた家で最後を迎えたかっただろうから・・・。

かけつけた私も冷静だった。
脈を取ってみたり、呼吸をしているか顔を近づけてみたり・・・。
時計も見た記憶があるけれど
時間は明確には覚えていない。

ただ、今日は父の日で次男の誕生日・・・・・
そんなコトだけはすぐに頭に浮かんだ。

まもなく在宅看護師が来てくれた。

医師が到着するまでの間
何をしていたのだろう・・・・
会話してたっけ・・・・

記憶がすとーんと飛んでいる。

医師が亡くなったことの確認(?)をすると
足早に去っていった。

あまりにもあっけなく
キツネにでもつままれているかのような・・・・

ドラマで見るような

「ご臨終です・・・」

機械音がピーーーーと鳴るわけでもでもなく・・・・

そして母も姉も私も父にしがみついて泣くでもなく・・・・。

不思議な時間だった。

その後、看護師さんと母・姉・私の3人で
父の体を清めました。

最後まで父のお世話をできたのは
在宅だからこそです。。

すべてが終わり安らかな父の顔を見て触れて・・・・
涙があふれてきた記憶があります。

やっと苦しさから解放されたね。。

今まで ありがとう。。。

そう言っては冷たくなった父に触れながら
話していました。

一番悲しかったのは
やはり納棺でしょうか・・・。
斎場ではなく自宅から送りだしたので
周りを気にすることなく泣きました。

今思い出しても涙が出てきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・あれから一年・・・・・・・・・・・・

ホントに月日が経つのは早いなぁ。

次男くん。

お前のことを一番愛おしく思っていた、じーちゃん。
じーちゃんがお前の誕生日に亡くなった意味を
よく考えてみてね。。。
by hijiki222 | 2009-06-15 00:19 | ■父の事■2008.1.8~